保寿院の開山と歴史
保壽院(ほじゅいん)は臨済宗南禅寺派の禅宗寺院です。 虎渓山永保寺の塔頭(たっちゅう)寺院の一つで、 虎渓山登僊嶺(とうせんれい)保壽院と正称します。 塔頭寺院とは大寺の寺域内に在って本寺を補佐する子(支)院のことです。 保壽院は永保寺の塔頭寺院の中で最も古く、永保寺の第三世である果山正位(かさんしょうい)禅師によって1341年(暦応4年)に創建されました。 果山正位禅師は仏徳禅師の直弟子で、後に永保寺第三世となられました。
保壽院は永保寺が開かれてより600余年の間、他の塔頭寺院と共に虎渓山の護持に当たってきました。 天文23年(1554年)の雪庭永立禅師(保寿院12世・永保寺14世)までは虎渓山(永保寺)住職を兼ねており、 歴代住職の中には天龍寺(4世)、円覚寺(5世)、南禅寺(6世・19世・20世)など、中央の大寺に招かれた高僧を多く輩出しています。
境内のご案内
保壽院は永保寺名勝庭園の北側に隣接しています。東濃では珍しい朱塗りの三門をくぐると、 正面に本堂、右手に庫裡があります。本堂裏に開山堂、また左手の松林奥に位牌堂があります。 庫裡の裏手にある書院並びに茶室は昭和初期に建設されたものであり、 中庭は松尾宗吾宗匠指導のもと小池勇造氏が築庭し松尾好みとされています。
庭園左手には立派な枝垂(しだれ)桜、さらに歴代住職を祀る僊霊塔(せんれいとう)がそびえています。 僊霊塔右前には虎渓33観音の第32番、千手観音石像があり、 左前には子供を抱いた子守地藏尊が祀られています。
本堂左手には魚籃観音・水子地藏とともに水子供養塔があり、いつでもご自由に参詣していただけます。
本 堂
三門をくぐると正面に本堂があります。本堂は大正4年、陶州和尚の時に再建されました。 間口7間・奥行6間の木造軸組み構造で、曽我金市棟梁の手により建てられています。 記録によりますと、木材の多くは岩村で調達し、一部の桧は内津山から伐り出しているようです。
平成6年に大規模な改修が行われ、現在に至っています。
保寿院の本堂では、多くの法要を椅子席で行っています。平成6年の改修時にエアコンが設置されました。 また法事などでは参詣者全員に経本を配布し、ご一緒に読経していただくことができるよう照明が増やされました。
通常の客席数は50席ですが、多人数の法要等では100席程度まで増やすことができます。
開 山 堂
保壽院の開山堂は大正4年頃に本堂とともに位牌堂として建設されました。 曽我金市こと藤原信義により建てられています。 戦後になり、多くの戦没者を祀る必要から開山堂では歴代祖師と戦死者の位牌が祀られています。
開山堂入口廊下は冷暖房が完備し、普段は椅子席による礼堂として利用されています。 少人数の法要などを行うことができます。
新亡のご遺骨で埋葬されるまでの一時預かりや、古くなった檀信徒各家のご本尊様も修理されて祀られています。
位 牌 堂
保壽院の位牌堂は昭和40年頃に建設されました。当初は本堂裏の開山堂が位牌堂として使用されていましたが、 多くの檀信徒により自由に参詣できる位牌堂の建設が望まれました。 戦時中は農地として利用されていた本堂西側を利用し、新たに間口4間・奥行5間の位牌堂が完成しました。
位牌堂正面には本尊として廚子に納められた如意輪観音像が祀られています。 本尊の両脇を埋め尽くすお位牌は祠堂供養として納められたものであり、最近では様々な事情により永代供養として納められています。 いつでも自由に参詣できることから、早朝に散歩やウォーキングを楽しみながら参詣に訪れる方もおられます。なお内部には照明がありませんので、夜間の参詣はできません。
庫 裡
保壽院の庫裡(庫裏)と大方玄関は昭和60年頃に耐火構造に改築されました。 当時の建築規制により、その高さ制限から屋根勾配の緩やかな建物になっています。
庫裡内部には大小6部屋の座敷があり、それぞれの部屋からは中庭を望むことができます。
書 院
書院は昭和7年頃に築造されました。幾度か改修され、当初の木製雨戸がアルミサッシに替わり、冷暖房も完備しています。
庫裡から書院に続く廊下の途中には、左手に茶席、右手に東司があります。
中 庭 茶 室
茶席(松濤軒)
保壽院の茶室は松濤軒(しょうとうけん)と呼ばれ、 昭和7年頃松尾流家元の松尾宗吾宗匠指導のもと、庭園とともにに築造されました。 四畳半の本席と三畳の水屋で構成され、水屋の一部は池の上に築造されています。 また池の水は水屋の下を流れ、永保寺庭園の国宝観音堂裏から臥龍池に流れています。
この茶席は庫裡と書院を結ぶ廊下の中間にあり、廊下より手前口をを通って出入りできます。 貴人口、躙口(にじりぐち)の上部化粧屋根裏には突上げ窓が設けられています。
なおこの茶席は非公開となっています。
庭園(露地)
保壽院の庭園は昭和7年頃、松尾流家元の松尾宗吾宗匠指導のもと、築造されました。
様々な苔に覆われた庭園は中庭となっており、座敷・書院から眺めることができます。
庭園(前庭)
保壽院の庫裡・本堂前の庭園は昭和60年頃に庫裡の改築とともに築庭されました。 庫裡前庭園は小池勇三氏設計であり、永保寺の名勝庭園を借景に蓬莱山を中心に置き、杉苔と白河砂の砂紋で構成された贅沢な造りです。 大方玄関前は、岩に着いた根上りの松・水盤・灯篭で構成され、旧来の樹木を巧みに取り込んでいます。
本堂前には百日紅(さるすべり)が、少し西側に枝垂桜が配されており春から夏の終わり頃まで楽しめます。 また本堂西側庭園は低めに剪定された松林と杉苔で覆われ、松林を抜けると古い水車小屋を利用した茶室があります。
別 院
保寿院別院は当初虎渓山の布教所(虎渓教会)として設立されました。 千手観音立像を本尊とし、脇仏として三十三観音が祀られています。
平成1年に宗教法人保寿院が宗教法人虎渓教会を吸収合併し、現在は保寿院別院として運営されています。
街の中にあるお寺は、日頃お世話になっている檀家のみなさんに対してはもちろんの事、 広く街の人々にも貢献しなければなりません。 決して葬儀のためだけでなく、昔、寺子屋があったように教育の場であり、 ある種の交流の場でもあってほしいと考えています。 寺という『もの』を作るのではなく、そこに集まる人々による『こと』づくりを目的とした別院です。
毎年1月18日には初観音祈祷、旧4月8日の花祭りでは落語やコンサート、7月15日は施餓鬼供養、 8月24日前の日曜には地蔵盆、そして仏教会による年末拓鉢、独秀流御詠歌研修などに利用されています。 また友引の日には檀信徒無料パソコン教室も開催されます。