虎渓山のご紹介
永保寺と僧堂
1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、 1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。1335年(建武2年)夢窓が臨川寺(京都)開山となられたとき、永保寺開山は元翁本元に改められ、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代の1746年(延享3年)には末寺28ケ寺、孫末寺1ケ寺を有し、 山内塔頭(たっちゅう)住職が虎渓山の住職をつとめ護持されてきました。
虎渓山の詳細はhttp://kokei.or.jp をご覧ください。
近世末期には白隠慧鶴の一系に属する春応禅悦(霊機神応禅師)が僧堂を開かれました。 当初僧堂の師家(雲水修行の指導者)と虎渓山の住職は別々になっていましたが、 その後、師家が永保寺住職(一山の住職)を兼ねるようになり、 臨済宗南禅寺派の専門道場(僧堂)として多くの雲水が禅の修行に励んでいます。
夢窓国師
夢窓疎石は文永の役(一度目の元寇)の翌年、1275年に伊勢の国にお生まれになりました。 9歳で出家し、一山一寧や高峰顕日のもとに参禅されました。 30歳の頃に悟りを開き、権勢に近づくことを好まず、諸国に小庵を建てて修行に励まれました。 1312年、三河鳳来寺の大徳寺を開かれ、一年あまり逗留されました。 1313年、夢窓疎石38歳の頃ですが、高峰顕日のもとで一緒に修行していた元翁本元とともに 土岐頼貞に招かれて長瀬山に来られました。 三河の大徳寺から来られたようですから、足助、土岐市を経由し、 現在の小名田・高田町を流れる川沿いに長瀬山をめざされたと考えられます。
夢窓疎石はこの地にしばしば逗留されること4年、1317年には虎渓山から出られることになりました。
夢窓国師の足跡等の詳細につきましては中田勝康氏のページhttp://muso.toをご覧ください。
国宝観音堂(水月場)
観音堂は水月場と呼び、夢窓国師が建立された建物で現存する唯一のもので、 桁行三間、梁間三間、一重裳階(もこし)付、入母屋造、檜皮葺となっています。
この水月場は虎渓山の本尊である聖観世音菩薩を祀る仏殿として建立され、いつの間にか観音堂と呼ばれて親しまれるようになりました。
夢窓国師は31歳の頃、常陸国臼庭の坐禅窟での修行により大悟されました。 その後、甲斐、甲州、三河の国を経て虎渓山に来られましたが、 虎渓山の水月場内には坐禅窟を模した岩窟式廚子内に聖観音菩薩坐像が祀られました。
国宝開山堂(僊壺堂)
夢窓国師の示寂された翌年、仏徳禅師の没後20年の1352年、永保寺では僊壺堂(せんこどう)が建立されました。 当初は祠堂(しどう)部分のみでしたが、その後相の間を挟んで礼堂が増築され、現在の姿になりました。 祠堂には右手に開創夢窓国師、左手に開山仏徳禅師の坐像が祀られ、 その奥には開山仏徳禅師の宝匡印塔が祀られています。 また相の間には保寿院開山果山正位禅師坐像並びに虎渓山歴代の古位牌が祀られています。
外陣(礼堂)は桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺で、内陣(祠堂)は桁行一間、梁間一間、 一重もこし付、入母屋造、檜皮葺となっています。
この開山堂は名勝庭園内の臥龍池を回った一番奥の僊壺洞(せんこぼら)に築造され、夢窓疎石や仏徳禅師が山居されていたとされる 盤礴庵(ばんばくあん)や大包庵(だいほうあん)の跡が林になっています。
国指定名勝庭園
永保寺の庭園は昭和44年国指定の名勝庭園となり、市指定の庭園区域を含めると51,350㎡に及びます。 国宝建造物のある名勝庭園では国内最大規模を誇る池泉式庭園で、国内の大規模な名勝庭園では最も古い部類です。 また庭園、国宝建造物ともに無料で拝観できることもあり、四季を通じての参詣が耐えません。
なお団体での拝観は事前に予約が必要です。
詳細は虎渓山HPをご覧ください。
虎渓山風致地区
虎渓山風致地区は多治見市を代表する風光明媚な地区で、自然豊かな環境に恵まれ、国の名勝に指定されている虎渓山永保寺庭園、虎渓公園、 天然記念物であるシデコブシの群生地、虎渓山1号、4号古墳を含む一帯であり、その区域面積は約40.9haあります。 また永保寺庭園の梵音巌を流れ落ちる滝は、風致地区内のしでこぶし群生地で湧き出る水を導いています。
徳林院
虎渓山慈雲峰徳林院と正称します。聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗南禅寺派の禅宗寺院です。
開基は果山正位の法孫天森正濡禅師(1482年示寂)です。 本堂内に安置の毘沙門尊天像は開運の祈祷仏として信仰されています。
続芳院
虎渓山東雲峰続芳院と正称します。釈迦牟尼仏を本尊とする臨済宗南禅寺派の禅宗寺院です。 開基は果山正位の法孫、玉霄正深禅師(1402年示寂)です。
虎渓西国三十三観音
三十三観音とは、法華経普門品に説かれる観音の三十三応現身の数に合わせて三十三種の観音を集め総称したものです。 西国三十三観音を巡るには日数もかかり、費用もかかります。 そのため近世になって全国各地に百に余る三十三所が形成され、 昭和十年頃に虎渓西国三十三観音が虎渓山(長瀬山)に設置されました。 上野町の奥蔵寺を一番とし、そして佳山水(かさんすい)と呼ばれた参道沿いに二番から二十八番が配されました。 また、永保寺開山堂前を二十九番、保寿院は三十番、徳林院は三十一番、続芳院は三十二番、 最後に観音堂前を三十三番としています。